『日本幽囚記』の世界
アイヌモシリ・罪と罰・戦争と平和
A5版160 頁 2021.3/ ISBN 978-4-9904027-7-8 定価1,320円(本体1,200円+税)
『日本幽囚記』は、文化11年(1811)7月から2年3ヶ月を箱館と松前で虜囚生活を送ったロシア海軍士官ゴロヴニンによる手記です。
このロシア人の手記の中に、近松門左衛門の『出世景清(かげきよ)』のプロットが紹介されているのをご存じでしょうか。平家の残党、景清は頼朝暗殺を企てますが目的を果たせず、夫の居所を吐かそうと拷問を受ける妻を救うために自ら入牢します。対面した頼朝は景清を赦免しようとしますが、景清は頼朝の恩義に感謝しつつも、この両目があるうちは亡君の仇を討とうとする心は治まらないとして、みずからの両目をくり抜いてしまいます。このような鮮烈な日本人の忠孝観は、西洋の宗教倫理や名誉観からは到底理解できないものであったに違いありません。
ゴロヴニンはまた、「天の逆鉾(あまのさかほこ)」という日本人の国生み神話を紹介しています。伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が、「この漂える国を修理(つくろ)い固め成せ」との命令を受け、二神は天の沼矛を原初の海に下ろし、その先端から落ちた一滴から淤能碁呂(おのころ)島が生まれました。ゴロヴニンは日本人が「その最初の祖先が水深を測ったという矛の一部が、日本の高山の一つに決して枯れない樹に姿を変えて今も存在すると信じている」のだと書いています。
来日した外国人という「他者」の目から「日本」を再構築(あるいは脱構築)しようとする試みは、これまで何度も繰り返されてきました。我が国でかくの如く日本人論が関心を集め続けるのは、おそらくその国民が未だ心のどこかに、このような物語に秘められた万世一系への矜持を隠し持ったまま、自分探しの旅を続けているからでしょう。『菜の花の沖』を書いた司馬遼太郎が「文学性もあり、記録性もある、世界の財産みたいな本」と称えた本書を通して、ゴロヴニンが見た日本人の民族観、宗教観、法律観、戦争観について、論考を試みます。